MOVIE2026.03.10

ベニチオ・デル・トロが怪演した“謎のセンセイ”はどのように生まれたか? 『ワン・バトル・アフター・アナザー』

ワン・バトル・アフター・アナザー

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アカデミー賞大本命とも言われる傑作『ワン・バトル・アフター・アナザー』。ユニークな登場人物たちの中でも、とりわけ印象を残したのがベニチオ・デル・トロ演じるキャラクター、通称“センセイ”だろう。そして、そのキャラクター作りには伝説的な黒人女性運動家の存在があったらしい。

レオナルド・ディカプリオ演じる主人公“ボブ”が潜伏する南カリフォルニアの街“バクタン・クロス”でカラテ道場を主宰している“センセイ”。誘拐されたボブの娘ウィラの師匠でもあり、表向きはカラテの師範、しかし裏の顔は移民を当局から逃がす地下活動を行う、いわば地域の“裏名士”のような存在である。とぼけたキャラクターも印象的で、完成した映画でデル・トロは絶妙に演じきったように見える。

だが、実は最初はこのキャラクターを“つかみきれなかった”らしい。Hollywood Reporterのインタビューに応えた際、当初脚本にあった“道場で死人が出て、急いで死体を片付けるシーン”などは、どうもうまく入り込めなかったと言うのだ。

「私が演じた“センセイ”が“ボブ”とどういう関係だったかというと、娘を教え、手助けする。以上。なのに当初は銃があって、人が殺されて、慌てて死体を片付ける、なんていうシーンがあった」。つまり設定とイベントが多すぎて、渋滞してしまっていたと説明する。「もし私のキャラが人殺しなんかしてしまったら、ちょっと色々起こりすぎだろう、と。全く違う映画になっちゃわないか?って危惧してしまってね」と語る。

デル・トロはこの“センセイ”を演じるにあたって、人物像をより明確でシンプルにしたかったと言うのである。すると次第に、そもそもこの“センセイ”は人殺しをするようなバイオレントなキャラクターではなく、もっと人道的な活動家なんじゃないか、と人物像が見えてきたのだそうだ。そこで念頭に置いたのが、20世紀初頭に活動した黒人女性活動家、ハリエット・タブマンで、“ラティーノ版ハリエット・タブマン”をイメージしたとデル・トロは語っている。

ハリエット・タブマンとは、1900年前後のアメリカで黒人奴隷や女性を領外に逃す活動を行なっていたことで知られる歴史的英雄の1人。アメリカの初期奴隷解放運動を代表する人物だ。その功績から「モーゼ」とも呼ばれ、バイデン政権下では黒人としては初めて20ドル札のデザインに採用されるも、トランプ政権によって却下された、という逸話もある。とにかく公民権運動や人権を語る上で欠かせない存在なのである。

デル・トロは、彼女をなぞらえることで“センセイ”のキャラクターがようやくしっくりくるようになったらしい。ポール・トーマス・アンダーソン監督にも「“センセイ”は殺人に手を貸すようなことはしないはずだ」と進言したことで脚本自体も変更されたことは、ディカプリオが別のトークショーで語っていた通りだ。

こうしてデル・トロが演じた“ラティーノ版ハリエット・タブマン”こと”センセイ”のキャラクターは、明らかに現在の差別主義、排外主義的なアメリカや、それに追随する世界に対するアンチテーゼだった。飄々と権威に逆らうその役の背景に、奴隷解放運動の始祖とも言えるタブマンがあった、と思うとさらに映画が味わい深くなってくるだろう。

名演が楽しめる『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、配信プラットフォームからも視聴可能なので、ぜひ2回目3回目と観てもらいたい。時代を代表する一作だと改めて感じ入るはずだ。

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