MOVIE丨2025.05.25
上級国民が優雅に“人間狩り”を行う…『我来たり、我見たり、我勝利せり』衝撃的な本編シーン

©2024 Ulrich Seidl Filmproduktion GmbH
ミヒャエル・ハネケ、ウルリヒ・ザイドル監督を生み出したオーストリアより、新たな鬼才ダニエル・ヘールス、ユリア・ニーマン両監督作品『我来たり、我みたり、我勝利せり(原題:Veni Vidi Vici)』が、6月6日(金)より公開される。この度、冒頭からぐっと掴まれる上級国民であるアモンが優雅に人間狩りを行う衝撃的な本編シーンが解禁となった。
本作は、2024年「サンダンス映画祭」、「ミュンヘン映画祭」に出品され話題となった。「ユーモアは危険な時にこそ最高に力を発揮する」という信念を持ち、観る者に笑いと怒りを同時に起こさせる『Davos』(未)の監督デュオダニエル・ヘールス、ユリア・ニーマンの日本初公開作品だ。製作は、カンヌ、ベネチア、ベルリンの世界三大映画祭を賑わせた『パラダイス三部作』『サファリ』のウルリヒ・ザイドル。金持ちのアンタッチャブルさを極限まで誇張し、歯止めがないシステムの結末と、人々が自分の行動に責任を持たない世界の危険性を明らかにする。
主人公は、エレガントな億万長者であり、愛情深いファミリーマンで、趣味の狩に情熱を注いでいる。しかし、アモンが狩るのは動物ではない。莫大な富を抱えた一家は“何”だって狩ることが許されるのだ。アモンは狩りと称し、無差別に“人間”を狩り続けている。一方娘のポーラはそんな父の傍若無人な姿を目の当たりにしながら“上級国民”としてのふるまいを着実に身につけていく。ある日、ポーラは父に“狩り”に行きたいと言い出す。しかし、“上級国民”である彼を止められるものは何もない。何者も彼らを止めることはできない。他人の言葉でも、ジャーナリズムの証拠でも、民主主義の法律でも。今あるのは自由だけだ。限界も不可能もなく、暴力もない。富を持つ者は自由に好きなように行動し、誰にもどうすることもできない。マキャベリストの家族研究では、金持ちが親切で与えるふりをするのと同じくらい、恐ろしく暴力的になりうるという。恐ろしいほど不快なこの物語は私たちのすぐ隣にある物語なのだ。
映像は、主人公である“上級国民”と呼ばれる法でさえ彼を裁くことができないほどの大富豪、アモンの趣味である“人間狩り”のシーン。
映像では「誰が私を止めるのか?それが問題だ」というアメリカにおける新自由主義思想の象徴とも呼ばれるアイン・ランドの言葉から始まる。山道をサイクリングする男。急勾配の坂道を登っている最中映像が引きになった瞬間、銃声と共に肩を撃ち抜かれる。突然の出来事に一旦ガードレールにもたれかかり傷口を確かめようとするや否や、二発目の銃弾を撃ち込まれそのままの勢いで後ろに倒れ崖に突き落とされてしまう。
すると、同じくサイクリングウエアにヘルメットを被り、左手には猟銃を持った男と、大きなカバンを持った男が現れ、殺された男性がいた場所へ向かう。大富豪のアモンとその執事アルフレートだ。アモンはすれ違う他のサイクリストたちにも愛想よく挨拶をかわし、その堂々たる振る舞いに彼を不審に思うものはいない。アルフレートはカバンから靴を取り出すと、アモンは靴を履き替え、猟銃はアルフレートにたくし、何事もなかったかのように自分が殺した男の自転車にまたがる。アルフレートは「リサイクリングですね、ご健闘を」とハイタッチを交わし、アモンは颯爽と走り去る。全身に風を浴びながら、昂ったアモンは快感の雄叫びを上げるのだった。

©2024 Ulrich Seidl Filmproduktion GmbH
『我来たり、我見たり、我勝利せり』は6月6日(金)より全国ロードショー